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宇宿貝塚の見どころ

宇宿貝塚の見どころ

宇宿貝塚史跡公園の概要

Ushuku Shell Mounds Historical Park

宇宿貝塚史跡公園は、昭和8年(1933)に発見され、奄美群島において初めて本格的な発掘調査が行われた国指定史跡「宇宿貝塚」を整備した公園である。平成2年(1990)から平成15年(2003)までの14年間の史跡整備を経て、平成16年(2004)2月9日に開園した。公園は、当時の海岸砂丘地形を復元した広場と発掘調査で見つかった遺構などを展示する史跡保護覆屋施設で構成されている。施設内では、縄文時代の石組竪穴建物跡や中世のⅤ字の溝状遺構、土坑墓、そして、各時代の生活面を調査当時のまま保存、公開している。

宇宿貝塚と周辺景観
宇宿貝塚と周辺景観

地中の秘密

Hidden Secrets Underground

発掘調査を行うことにより、その土地の地下の様子を知ることができる。宇宿貝塚は、場所によって層の数や堆積した土の厚さが異なる。主にビーチロックを基盤とした9つの土層があり、全ての層が海浜の砂で構成されている。各層からは、時代を特徴づける遺構や遺物も確認されている。調査によって、縄文時代中期(紀元前3,400~2,400年)の人々が初めてこの地で活動を始め、縄文時代晩期(紀元前1,200~900年)まで、漁労・狩猟・採集を中心とした生活を営んでいたことが判明した。また、中世(11世紀後半~15世紀中頃)には、墓域として利用されていたことも明らかになった。

土層断面概略図
土層断面概略図

石組竪穴建物跡

Ruins of Stone-Pit Structures

奄美大島では、縄文時代後期(紀元前2,400~1,200年)から弥生時代初頭(紀元前900年)にかけて、自然石やサンゴの塊を方形に配置する石組竪穴建物跡が宇宿貝塚や城サモト遺跡(奄美市住用町)、ウフタⅢ遺跡(龍郷町)などで発見されている。宇宿貝塚においては、縄文時代晩期(紀元前1,200~900年)の建物跡が2基確認され、その内の1基(長径約230cm・短径約210cm)を展示している。建物中央辺りからは、一部が焼けて木炭片の詰まった炉跡が検出されている。また、床面からは、シイの実も見つかっている。建物跡の発見によって、縄文時代晩期頃には、この地で定住を目的とした人々が暮らしていた様子を窺うことができる。

石組竪穴建物跡平面図(宇宿貝塚)
石組竪穴建物跡平面図(宇宿貝塚)
石組竪穴建物跡(城サモト遺跡)
石組竪穴建物跡(城サモト遺跡)
石組竪穴建物跡(ウフタⅢ遺跡)
石組竪穴建物跡(ウフタⅢ遺跡)

カムィヤキを副葬する幼児埋葬墓

An Infant Burial Mound with Kamuiyaki as a Grave Offering in a Secondary Burial

平成5年(1993)の史跡公園整備に伴う発掘調査で、地面を掘り込んで作られた長径約65cm・短径約35cmの楕円形の土坑墓が発見された。墓には、生後6ヶ月程度とみられる幼児が埋葬されており、11世紀後半~13世紀前半頃と考えられるカムィヤキが頭部に接する形で副葬されていた。幼児は、頭を東側にして仰向けで埋葬されており、左右の手は腹部の上に置かれて両膝は右側に曲げた状態であった。また、口の中から鉛ガラス製の玉も確認され、意図的に唇の裏に含ませていたことが考えられる。

土坑墓の検出状況
土坑墓の検出状況
幼児骨の頭部とガラス玉の出土状況
幼児骨の頭部とガラス玉の出土状況

親子で埋葬された墓

A Burial Site where a Mother and Her Child were Laid to Rest Together

昭和53年(1978)、宇宿貝塚の国史跡指定に向けて遺跡の特徴と範囲を明らかにするための発掘調査が実施され、壮年初期の女性骨と新生児骨を埋葬した長径約160cm・短径約60cmの楕円形の土坑墓(母子埋葬遺構)が発見された。女性骨は、頭を南西にして仰向けの状態で埋葬されており、首回りにガラス玉42個と骨製管玉4個が出土したことから、首飾りを装着していたと思われる。また、両足の間に頭を真逆の北東に向けた新生児骨が見つかったため、分娩後に亡くなった母子の可能性が高い。発掘当時は、弥生時代の人骨と報告されたが、その後の土器研究や調査事例の増加によって、現在、奄美市教育委員会では中世の人骨と考えている。

母子埋葬遺構の検出状況
母子埋葬遺構の検出状況
新生児骨の出土状況
新生児骨の出土状況

Ⅴ字の溝状遺構

Remains of a V-shaped Ditch

宇宿貝塚の発掘調査では、上部幅約160cm・深さ約130cmの断面がⅤ字形の溝と考えられる遺構が確認されている。溝の端は、遺跡の北西側にあり、そこから南東の海側に向けて伸びているが、全体の長さは不明である。溝の底からカムィヤキが出土していることから、11世紀後半~14世紀頃の遺構と考えられる。溝状遺構は、万屋グスク遺跡(奄美市笠利町)や喜界島の国指定史跡「城久遺跡」などでも発見されているが、どのような目的で作られたのか不明である。これらの遺跡からも宇宿貝塚と同様に埋葬遺構が検出されていることから、墓域に関係する可能性がある。現在、溝状遺構の上端部のみを露出させて公開している。

溝状遺構の掘り下げ
溝状遺構の掘り下げ
溝状遺構の検出状況
溝状遺構の検出状況